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2016年10月4日

  • ディレクターズノート

ディレクターズノート001
なぜ私はさいたまトリエンナーレ2016のディレクターになったのか?

「さいたまトリエンナーレ2016」。さいたま市が初めて試みる国際芸術祭だ。私はその「アートプロジェクト」と呼ばれる中核パートを制作するために、2014年7月、ディレクターへの就任要請を受け入れた。具体的には、招聘作家を選び、彼らと対話を続けて構想をまとめ、それを実現する。そのためにまず、私は私を補佐してくれるプロジェクト・ディレクターたちに声をかけ、集まってもらった。つまり、自分のプロジェクトチームを作るところから始めたのだ。あれからもう2年以上が経つ‥。時は早い。

私はこれまで、帯広競馬場の厩舎地区であったり、横浜、山下埠頭先端の倉庫であったり、温泉の上に浮かぶ別府の街であったりと、場所の力に惹きつけられてさまざまな国際展をつくってきた。では、さいたまとはなんなのか?
ディレクターを引き受ける前に、私は身近にいるさいたま市生まれ、あるいはさいたま市在住の知り合いたちに、さいたまとはどんなところかと尋ねてみた。すると彼らのほとんどが、「なにもない」と即座に答える。なにもない‥。なにもない場所!
あまりにも多くの人がそう言うので、私はかえって興味をそそられた。なにもない場所とは、いったいどんなところなのだろう?

しかし実際にさいたま市を歩いてみると、なにもないどころではない。さいたま新都心の都市景観もあれば、昭和の匂いを色濃く残す繁華街、圧倒的に広がる新旧の住宅地、緑地、林地、田畑、河川敷に広がる懐かしい自然、そのすべてがパッチワークのように混在している。道は想像以上に狭く、直線は少ない。そしてそうした混在の頭上を、新幹線や高速道路、送電線といった巨大構造物が東京に向かって走り抜けていく。そう、ここには現代日本を代表する土地利用が、ほとんどすべてあるような印象を受けた。つまり、なにもないのではない。ある意味、なんでもがあるのである。
ではここを、人はなぜなにもないと思うのか?
その問いこそが、私がさいたまトリエンナーレ2016のディレクターを引き受けた最大の動機であったと言えるかもしれない。

アートプロジェクトの検討と並行して、私たちは「さいたまスタディーズ」という研究活動を進めていった。これは地形、地質、植生、気象、歴史、文化など多方面から、さいたま市を横断的、即地的に見渡そうとする試みで、芸術祭という枠組みの中では通常見られない取り組みだったと言えるだろう。そこから生まれた考察は実に興味深く、今回はトリエンナーレ会期中、うらわ美術館に特設展示コーナーを開設したから、ぜひ立ち寄って欲しいと思う。
私たちはその研究で、この土地に、少なくとも縄文時代から途切れることなく、人がずっと住み続けてきたことを知った。そして今は127万人もの人々が暮らしている。つまりここはずっと生活の現場、「生活都市」であったわけだ。

生活は偉大だ。日常は偉大だ。しかしあまりにも慣れ親しんだ日常であるからこそ、精神の姿勢は硬直しやすい。生活の現場というものはそういうものだろう。感性は麻痺し、想像力は萎縮しがちだ。なんでもある場所を、なにもないと感じる心、あるいはなにもないと思いたがる姿勢。ここにアートという非日常を挿入する。今回の芸術祭はそうした挑戦なのだと思っている。