市民会館おおみやを出て大宮区役所に向かう。
区役所が見えてきた。
区役所といえば、証明書の発行とか種々の手続き、相談で、誰だって何度かは訪れたことのある、最も身近な公共施設と言えるだろう。そう、誰でもがその存在は知っている。しかし考えてみれば、用事がなければ行くことのない場所でもある。そして用を済ませば速やかに立ち去る。区役所とはそんな場所だ。
その地下2階に、今は使われなくなった厨房と食堂がある。トリエンナーレでもなければ、決して立ち入ることのない空間だろう。ここでアートプロジェクトを展開するのは岡田利規。演劇ユニット「チェルフィッチュ」を主催する劇作家、小説家。彼はそれぞれ出演する女優の名を作品タイトルとした二つのインスタレーション、《映像演劇op.1 椎橋綾那》、《映像演劇op.2 青柳いづみ》を発表しているが、それらは換気扇にこびり付いた油の匂いや半開きのドアといった、その空間のすべてとあまりにも一体となっていて、衝撃を受ける。映像となった彼女たちに重さはなく、まるで幽霊というか精霊というか、つかまえどころもなく、ここに留まる空気のようだ。映像演劇…。確かにこれは、彼女たちの演劇を記録した映像の上映ではなく、映像の彼女たちが演ずる演劇だった。この作品を旧部長公舎で展開する松田正隆+遠藤幹大+三上亮の《家と出来事1971-2006年の会話》や、湯浅永麻という稀代のダンサーの身体が常時組み込まれたインスタレーション、向井山朋子の《HOME》と比べてみるのも面白い。
地上に戻ろう。もう気づかれたかもしれないが、市民会館おおみやも大宮区役所も1960年代後半に建てられた鉄筋コンクリート造の建物で、そろそろ公共建築物としての寿命を終えようとしている。遠くない将来、これら建築物は取り壊される。今回のトリエンナーレが、こうした消えゆく建築物、都市のひとつの時代へのオマージュにもなればいいと、心のなかで密かに思う。
1階にはダンカン・スピークマン+サラ・アンダーソンの《1000のデュオのための曲》の受付があるから、ここでヘッドフォンを受け取る。これはふたり一組で街を歩く、歩行型のサウンド・インスタレーションだ。絶対にここでしか味わうことのできない素晴らしい体験なので、これは是非とも試してほしい。説明はしない。普段見慣れた大宮の風景が確実に変わっていくことだけは確かだ。これこそ魔術だ。
ひとつだけ付け加えれば、大宮駅東口の階段を降りてくる人々を眺めるとき、私は旧民俗文化センターのアダム・マジャール《アレイ#3》を思い出し、眩暈を覚えていた。
さあ、夕暮れになった。ヘッドフォンをつけてふたりで街に歩み出そう。